
人を信じることの難しさを感じている人は、
人から裏切られたり、ひどい扱いを受けたり、信じることで酷く傷ついた経験があるという人が多いと思います。
ただ、そのときの感情を少しだけ横に置いて、
そうしたことが、あなた自身の魂が望んでいる成長に必要なものだったとしたら?
今となってみると、多くの気づきも得られたのではないかと思います。
もちろん、いま現在その渦中にいる人にとって、あるいは、その時の心の傷跡が癒えていない人にとってもは到底うけいれられないことでしょう。
いくら何でも、私はそんな体験はしたくなかったという声が聞こえてきそうですが、
それでも、ちょっとだけ感情を横に置いて感じてみましょう。
魂は、あなたに何を学ばせ、経験させたかったのか?
少なくとも私の場合は、
そうした体験によって、自分の足で立ち、自分の人生を生き、自分を信頼するということを実践することができました。
その体験は、私の人生を大きく構成しているパーツの一つとなっています。
悲しくて辛い体験をした後は、それがトラウマとなり裏切りや騙されることが怖くなります。
裏切りも騙されることも、そうじゃないことも、「どちらでもいい」と思ってみてください。
これは、投げやりにではないですよ(笑)
どんなことがあっても、自分がそれに対処することができるのは分かりきっていることです。
裏切られたくないと思えば思うほど、裏切られるという体験をするでしょうし、
騙されたくないと思えば思うほど、騙される体験を、
見捨てられたくない、嘘をつかれたくない、ひどい扱いをされたくない・・・
この逆も同じです。
優しくされたい、大切に扱って欲しい、好かれたい、愛されたい・・・。
これは、自分がもっていない、欠けていると感じているので、そうしたことを他者から補ってもらいたいと欲している状態です。
こうなって欲しくない、こうして欲しい(欠乏感)ということにフォーカスすればするほど、その波長と同調します。
すると周りは、その波長通りに私たちを扱いはじめます。
” どちらでもいい ”
あなたは、とても優しくて、賢くて、愛に満ちた人なのです。
ところで、自分の笑顔と他者の笑顔を想像したときに、どちらも同じ笑顔なのですが、
これが面白いことに、自分以外の人の笑顔を想像した方が、からだや気の流れが正常になり、力がみなぎるのです。
自分の力を発揮できる体の状態になります。
そう考えると、人というものは、本来自分よりも他者の幸せを喜ぶ存在なのかもしれません。
だから、過去のトラウマが発動したら、あなたの周りの人たちの笑顔を想像してみてはいかがでしょうか。
何だか嬉しくなって、信じるとか信じられないという意識を超えて広がっていく感覚を味わってください。